【ヨルダン】謎に包まれたナバテアの首都ペトラ
12世紀に十字軍が砦を築いたのち、ヨルダンの砂漠の中に眠り続けていたペトラ遺跡。
その再発見から200年経った今でも、多くの謎に包まれています。
1985年に世界遺産に登録され、2007年にはイタリアのコロッセオ、インドのタージマハルと並び、新・世界七不思議にも選ばれ、世界に広く認知されるようになりました。
近年さらなる注目を集めているペトラ遺跡を理解する上で、絶対に欠かせない情報をご紹介したいと思います。
砂漠の王都ペトラ遺跡
ペトラはかつてナバテア人の首都であり、紀元前1世紀〜紀元後1世紀にかけて建設されました。
ペトラの語源は、ギリシャ語で「岩」を意味するところから来ています。
ちなみに、「岩」はヘブライ語では「セラ」と呼ばれ、『旧約聖書』「イザヤ書」の中でも言及されていたようです。
“使者を立て、貢ぎ物の羊を送れ、その地を治める者よ、荒れ野の町セラから、娘シオンの山へ”
(イザヤ書、16章1節)
ここからは、ペトラの中でも特に注目のスポットを順に紹介していきます!
シーク
シークはペトラの入り口から、エル・ハズネへと向かう道のりにあり、その全長は約1.2kmにも及びます。
シークには、ヘロデ大王やアレタス4世によって石畳が敷かれていましたが、洪水などによって、現在はほとんど残っていません。
ペトラにおける洪水は古代から深刻だったようで、シークの入り口や内部にはダムが作られていました。
また、ダムと並んで、シークではナバテア人が利用していた水路が見つかっています。
ちなみに、エル・ハズネに向かって右側に飲用水のための水道管があり、左側に灌漑用の水路があります。
また、シークの途中にはナバテアの主神ドゥシャラーや女神ウッザーが彫り込まれた、ステラと呼ばれる石板や、ナバテア人のキャラバンの像などが残っています。
ナバテアのキャラバン像です。足だけ残っているのは、そこまで砂で覆われていて、風化を免れたためであると考えられています。
エル・ハズネ(宝物殿)
エル・ハズネは『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』の舞台として使われたことでお馴染みですね。
建設は、紀元前1世紀、ナバテアの王アレタス4世の時代に行われました。
その役割は、葬祭の儀式を行うための墓、もしくは葬祭殿であったとされています。
ちなみに、その作られ方は独特で、岩山の壁面を上から下へと削りながら建造されたのだそう。
エル・ハズネは現地では、ハズネ・フィルアウン、つまりファラオの宝物殿とも呼ばれ、宝が隠されていると信じた遊牧民族のベドウィンが頂上の壺を銃撃したという話も有名です。
エド・ディル(修道院)
エル・ハズネの『インディ・ジョーンズ』に対して、エド・ディルは映画『トランスフォーマー2』の舞台として使用されたそうです。
エド・ディルは、ナバテア最後の王ラベル2世がオボタス2世を祀るために建設されたという説が、現在、一般に信じられています。
修道院と呼ばれているのは、内部の壁に十字架が彫られているためで、ビザンチン時代には教会として使われていたという説が知られています。
ペトラの民ナバテア人
もともと遊牧民であったナバテア人でしたが、しばらくするとエドム人の暮らしていたペトラに定住するようになりました。
そして、この地域を通るキャラバン隊の安全を確保することによって、富を築いていったのです。
ナバテア人は神を具体的に示す代わりに、ステラと呼ばれる石板を崇拝していました。
初期の住民エドム人
ナバテア人がペトラにやってくる遠い昔、1万年前の新石器時代から人類がペトラ近辺で生活をしていた跡がありました。
その地で最初に登場した民族が、エドム人です。
エドム人は紀元前1000年頃、生活をしていたと見られ、ペトラ周辺では陶器の破片が見つかっています。
エドム人の祖先は、創世記27章に登場する、相続権と父イサクの祝福を弟ヤコブに詐取された兄のエサウであると言われています。
また、エドム人はユダヤと関係が悪く、ユダヤ王ダビデは小国エドムを襲ったり、ユダヤ王アマジアは1万人のエドム人を崖から落としたと言われています。
探検家ブルクハルト
今日のペトラを語る上で、欠かすことができないのが、探検家のヨハン・ルードビッヒ・ブルクハルトです。
1784年にスイスで生まれた彼は、ケンブリッジでアラビア語を学んだのち、シリアのアレッポへ渡ります。
そして、アラビア語やイスラームの勉強に励むとともに、シリアのパルミラやレバノンなど周辺地域を旅するようになります。
そうする中で、ペトラの噂を耳にし、アロン山に生贄を捧げるという口実のもと、ペトラのあるワディ・ラムの地に足を踏み入れるのです。
こうして、彼の発見によって世界に知られるようになったペトラは、現在多くの観光客や考古学者を惹きつける重要な土地になったのです。
最後に
近年、中東の国々ではますます情勢が悪化し、難民やテロなど多くの問題がニュースでも取り上げられています。
しかし、そうしたニュースを見たとき、一様に中東は危ないだとか、イスラームは怖いなどと思わず、私たちの祖先が作り上げてきた歴史を振り返り、しっかりと現実に向き合うという姿勢が求められているのではないでしょうか。
私は、これからも歴史や現実に起きている出来事を学び、他者への理解を少しずつ深めていきたいと思います。