【チェコ】朝靄と聖人が幻想的なカレル橋
今回は、チェコのプラハ、その中でもカレル橋についてスポットライトを当てていきたいと思います。
なぜカレル橋に1記事分も割くの?と思った方もいるかと思いますが、カレル橋は私がヨーロッパへ行ったら最も訪れたい橋だったからなんです。笑
そう思ったきっかけは、ある写真集の1ページに掲載された写真にありました。
そこに写されていたのは、聖人たちの像が並ぶカレル橋に朝靄が立ち込める景色。
その幻想的な写真に心を奪われてから、ヨーロッパに行ったら絶対にカレル橋に行って、この光景をこの目で目撃するんだと心に決めました。
そこから、なんとか留学のチャンスをものにしてヨーロッパへ行き、プラハへも行くことができました。
そして、念願のカレル橋を訪れることができたので、その喜びをこうして綴ろうと思ったのです。
また、この記事を読んでくださった人の中から、カレル橋やプラハに訪れたいと思ってくれる人がでてきてくださったら幸いです。
魔法の都プラハ
昔からヨーロッパの中心的な都市として栄えてきたプラハは、「百塔の町」「建築博物館」「ヨーロッパの魔法の都」など多くの異名を誇ります。
建築博物館と呼ばれる所以は、プラハの町にロマネスクやゴシック、ルネッサンス、バロック、アールヌーヴォーなど時代を超えた建築が混在しているところにあります。
長い歴史の中で、周辺国からの侵略を幾度となく受けてきたにもかかわらず、その街並みのほとんどを残し続けてきたのは奇跡とも言ってもいいでしょう。
また、16世紀のプラハでは、“魔術王”とも呼ばれたルドルフ2世のもと、錬金術や占星術が盛んに行われていたと言います。
このようにプラハは、名実ともに魔法の都と言われるにふさわしい町なのです!
カレルはプラハ最古の橋
カレル橋が造られたのは、その昔、カール(カレル)4世が神聖ローマ帝国の首都をプラハに移した時代のことでした。
その時代、プラハは、ローマやコンスタンティノープルと並ぶ重要な都市になり、「黄金のプラハ」とまで呼ばれるようになりました。
そしてその頃、プラハ城の拡張やカレル大学の設立と並んで、カレル橋も建造されたのです。
カール4世の治世は1346-1378年の間で、カレル橋は14世紀の後半から15世紀の初めにかけて、ゴシック様式で造られました。
こちらは、カレル橋近くにあるカール4世の像です。
カレル橋に並ぶ聖人たち
最初に建てられた成人の像がこちらの聖ヤン・ネポムツキー像で、1683年に制作されました。
こちらのレリーフに触ると縁起が良いらしく、多くの観光客が触っているところを写真に取っていました。。笑
こちらは、日本史でもお馴染みの聖フランシスコ・ザビエル像です。
下で支えているのは東洋人のようで、当時の布教の様子を伝える像のようです。
朝方に行けばカレル橋を独占できる!
カレル橋はやはり、プラハ観光の主要なスポットとなるので、昼間から夕方にかけての時間帯はかなり混んでいて、橋の写真を撮ろうとすると必ず人が入り込んでしまいます。
雨の日にはさらにひどく、他の人のさした傘で橋がほとんど見えなくなってしまいます。
なので、朝が強い人もそうでない人も、是非早起きをして、人の少ない時間帯のカレル橋を堪能してみてください。
最後に
こうして、私のヨーロッパで一番好きな橋を紹介してきましたが、この記事を書いている間に橋の更なる魅力に気づき、もう一度訪れたいという気持ちが強くなってきました。
一度訪れた場所も、もう一度振り返ってみると必ず新たな気づきがあるものです。
私の記事も内容を更新し続けたいと思っているので、一度読んだ記事でも少し時間を置いて読み返してみてください。新しい発見があるかもしれません。笑